国家公務員は優秀でないといけないのか?
今朝は自民党の公務員制度改革の部会に出ました。
発言を求めて手を挙げたものの、
時間切れで発言できず、
次回の部会に持ち越しになりました。
今日の公務員制度改革の部会で、
「国家公務員にはベスト&ブライテスト、
日本の最優秀の人材を集めなくてはいけない」
という意見(前提)が、多くの人から出されました。
そして、多くの人がこの前提を当然のこと、
無条件に正しいこと、と受け入れているように思います。
あえて、この前提を疑ってみたいと思います。
ここでは、各省庁の利益という観点ではなく、
国家全体・国民全体の利益という観点で考えれば、
という条件を付けて議論します。
戦時統制以来の中央集権的な時代、
霞ヶ関が日本の舵取りを行ってきた時代には、
日本のベスト&ブライテストを霞ヶ関に集めることが、
国家全体の利益にかなう合理的な政策であったでしょう。
しかし、いまは官から民へ、中央政府から地方自治体へ、
構造改革を進めている時期です。
最優秀な人材(人的資源)に限りがあると仮定すれば、
民間や地方に優秀な人材が行かなくなることも問題です。
優秀な人材が民間企業や地方自治体、NPO等で働くことも
国全体の利益を考えると大切だからです。
霞ヶ関が日本のベスト&ブライテストを独占するのも
それはそれで問題です。
おそらく1950~90年ごろまでは東大法学部卒の
最優秀と見なされる人材の多くが、
当時の大蔵省や通産省のキャリア官僚になりました。
大蔵省や通産省のエリート官僚が無謬だったのでしょうか?
これだけ国の借金が増えたのは、
第一には政治(与野党とも)の責任、
第二には中央省庁の責任ではないでしょうか。
一番の戦犯は政治家ですが、
中央省庁の官僚(特に大蔵官僚)も罪が重いでしょう。
また、現在の社会変化の激しい時代、グローバリゼーションの時代に、
官僚機構が適切に対応できているか甚だ疑問です。
日本で最優秀の人材をキャリア官僚として採用し、
終身雇用、プラス、天下りで最後の最後まで面倒を見るべきだ、
という前提は崩していくことが必要です。
企業やNPO、シンクタンクから官庁に移ったり、
官庁から企業やNPO、シンクタンクに移ったり、ということが、
普通になるのが理想だと思います。
米国では「リボルビングドア(回転ドア)」と呼ばれ、
官民の人材の移動は普通のことです。
公務員制度改革は始まったばかりですが、
まずはこれまでの常識を崩していくことから、
スタートしなくてはいけないのかもしれません。
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