座右の銘、尊敬する人物
総選挙が近づいているとの憶測のもと、
報道各社から履歴書(プロフィール)の提出の依頼があります。
そこで「座右の銘」とか、「尊敬する人物」とか、
「座右の書」といった質問項目がしばしば出てきます。
こういった質問には毎回悩まされてきました。
好きな言葉はたくさんあるし、好きな言葉を見つけると、
メモを取るようにしています。
私の「好きな言葉集」は、いまではA4で5ページくらいになります。
しかし、何かひとつに絞った「座右の銘」というのはありません。
尊敬する歴史上の人物も何人もいますが、
誰かひとりを別格扱いにして尊敬する、ということはありません。
インタビューや候補者アンケートで「座右の銘」には、
その時々で思いついた言葉を答えてきました。
ある時は「気骨ある異端」と書き、
ある時は「自らのために計らわず、人のために計らう」と書き、
毎回ちがう答えにしてきました。
秘書から「座右の銘が毎回ちがうのは、まずいんでは?」と、
指摘され、悩んできました。
こんな自分を「オレってへんかな?」と思い、悩んでいました。
しかし、保坂正康著「後藤田正晴:異色官僚政治家の軌跡」を読み、
こんな悩みを持つのが、私ひとりではないことがわかりました。
そして尊敬する人物の「ひとり」である後藤田正晴氏が、
私と同じような思いを持っていらしたとわかり、ホッとしました。
保坂氏流に解釈すると、後藤田先生の次のような考えに基づくそうです。
---------------------------
自分は自分であって、他人を範にしたり、畏敬したりするものではない。
人間、完全な存在なんてありはしない、
自分と同じ目の位置にいるのじゃないか、
他人を尊敬するなんて安易に口にするのは甘ったれているのじゃないか、
自分が確立していないのではないか、
というのが後藤田の考えの中軸にある。
---------------------------
私自身は後藤田先生ほど確固とした信条に基づいて、
「座右の銘」とか、「尊敬する人物」をひとつに絞らない訳ではありません。
ただ、何かひとつの考え方や誰かひとりの人物像に捉われると、
柔軟性が失われ、視野が狭くなってしまう気がして、それが怖いのです。
また、尊敬する人物に挙げられる人は、たいていカリスマ性のある人です。
20世紀の歴史上もっとも人類に害を及ぼしたのは、
おそらくヒトラーやスターリンだと思います。
これらの人物は非常にカリスマ性がありました。
カリスマ性「だけ」で政治家を選んではいけない、というのが、
20世紀の歴史から学ぶべき教訓だと思います。
もちろんカリスマ性があったらダメということではありません。
カリスマ性があって、かつ、健全な判断ができる人も大勢います。
しかし、カリスマ性「だけ」で判断するのは、きわめて危険です。
という訳で、これからも私は歴史上の誰かでも、先輩議員でも、
誰かひとりを神格視して尊敬することはないでしょう。
カリスマに対しては常に警戒心を持つように心がけています。
そして、私にカリスマ性がまったくなかったとしても、
ワザとそうしていると好意的に解釈していただけると幸いです。
| 固定リンク
最近のコメント