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2008年3月18日 (火)

「信念の政治家」について

電車の中で読んでいる故森嶋通夫教授の「政治家の条件」に、
おもしろい分析が出てきました。
森嶋教授はノーベル経済学賞候補に何度もノミネートされた方ですが、
政治に対してもたいへんおもしろい見方をされています。

マックス・ウェバーの「職業としての政治」に出てくる
「心情倫理」と「責任倫理」の二つの重要な概念に関し、
訳語にコメントされています。
前者の訳語は、本当は「心情倫理」ではなく、
「信条倫理」または「信念の倫理」が正しいのだそうです。

森嶋教授の論に従うと、「信念の倫理」ばかりを重視していると、
結果に対する「責任倫理」がおろそかになる傾向があります。
信念を貫いた結果、不幸な結果を招くことはよくあることです。
ブッシュやブレアは、「フセイン政権は悪で、倒さなくてはいけない」
という信念を貫いた結果、あまり芳しくない結果を招きました。
フセインを打倒した後の結果を正確に予想できたら、
あのような軍事介入を行ったかどうかわかりません。

逆に「責任倫理」を重視しすぎると、結果に対する責任を恐れ、
リスクを避けて無難なことばかりやる傾向が出てきます。
過剰な「責任倫理」は、不確実な世の中で、
勇気をもって行動するときに、足かせになることもあるでしょう。
「責任倫理」が強すぎて、行動力がないのでは、それも困りものです。

ウェーバーが言いたかったのは、職業政治家(天職としての政治家)は、
「信念の倫理」と「責任倫理」の両者をバランスよく持ってないといけない、
ということだと思います。

そういう視点で日本の政界を見てみると、
安倍前首相は「信念の倫理」が過剰で、「責任倫理」がちょっと弱く、
福田首相は「信念の倫理」が弱く、「責任倫理」が重いのかもしれません。

福田首相には「信念の倫理」をもう少し前面に出して、
改革の旗を高く掲げ、経済政策に関する明確な方向性を示してほしいものです。
そうなるように党内で声をあげていきたいと思います。

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