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2008年5月19日 (月)

TVメディアと民主主義の危機

私は同時並行で複数の本を読む癖があります。
ベッド脇に置いて睡眠薬代わりに読む「鬼平犯科帳」とか、
電車が混んでいる時に片手で読める小さめの新書とか、
電車がすいている時に読むハードカバーのインドネシア文学とか、
気が立っている時に読む心理学の本とか、
常時5~7冊の本を同時並行で読みます。
この変な癖のせいで、意外な発見がときどきあります。

いまアル・ゴアの「理性の奪還」という本と、
後藤和智氏の「若者論を疑え!」という新書を同時に読んでいて、
日本もアメリカも同じ問題に悩まされていることがわかりました。

ゴアは「アメリカの民主主義はいま危機に瀕している」と
断言し、警鐘を鳴らしています。

序章のゴアの主張の一部を私なりに要約すると、
1)アメリカのTVメディアは、非常に大きな影響力を持っているが、
  それが悪い方向に作用している。
2)ニュースがエンターテイメントに服従し、
  戦争と平和の問題、環境、人権といった重要なテーマよりも、
  O・J・シンプソン事件のような話題性のある事件ばかり報道し、
  「報道による病的な執着」という報道パターンを生んでいる。
3)商業主義のTVメディアは、猟奇的な殺人事件等の報道に終始し、
  アメリカ国民が理性的な判断をできない状況を作り出している。
といった感じです。

後藤和智氏の「若者論を疑え!」を読んで、
日本でも全く同じことが起きていることを実感しました。
テレビ(特にワイドショー)は、猟奇的な事件や少年による殺人事件を
とりわけ好んで取り上げ、事件現場の部屋の間取りから、
周辺住民の声、殺人の動機・方法等、事細かに何週間も報道します。
ワイドショーによる「病的な執着」的報道パターンが、
猟奇的な殺人や少年による殺人がそこら中で起きている印象を植え付け、
いわば「体感治安」を悪化させていきます。

実際のところ少年による凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦、放火)は、
1960年をピークに減少し、今は当時の3分の1といったレベルです。
1960年ごろと言えば、「Always 3丁目の夕日」のように、
しばしば「貧しくても心が豊かだった時代」と回顧されます。
しかし、当時は若者が地方から都会に移動し(堀北真希もそうでした)、
地方のコミュニティが壊れはじめた時代とも言えるかもしれません。
今より少年の凶悪犯罪が圧倒的に多かった事実は、
客観的事実として受け止めなくてはいけません。

1960年代も異常な少年犯罪はたくさん発生しています。
チャンネル争いで14歳の少年が父親を毒殺したり、
小学校3年生の2人組が空き巣の証拠隠滅のために放火したり、
といった考えられない事件は1960年代にも発生しています。
終戦直後に女子高生が味噌汁に農薬を入れて家族を毒殺した事件を、
当時の新聞は社会面の数行のベタ記事扱いで取り上げただけでした。
今だったらこれらのニュースはワイドショーが何週間も繰り返し扱い、
「最近の少年は凶悪だ」とか、「最近の若者はなってない」といった、
有史以来続く若者批判論に直結することでしょう。
最近の若者がだらしなくなり始めて、4000年くらいたつでしょうか。

また、この数年は犯罪の発生件数も若干改善しています。
これは警察官の増員や地域の安全ボランティア活動の盛り上がりが、
大きく影響していると思います。
TVメディアの過熱報道の結果として体感治安が悪化し、
政治や市民が動いた結果のプラス面と言えるかもしれません。
しかし、TVメディアの「病的な執着」報道の結果として、
「最近の若者は危険だ」といった誤ったイメージが定着し、
誤ったイメージに基づいて「教育改革」が議論されるのは問題です。

ワイドショーをはじめTVメディアによる「病的な執着」報道は、
事実に対する認識を歪め、政策判断を誤らせることにつながります。
驚くほど多くの政治家がスピーチで「少年の凶悪犯罪の増加」を、
当然のことのように語り、その対策を提案しています。
そして、心の教育がなっていないと嘆き、自分たちが子どものころは、
貧しくても心が豊かだった、といった決まり文句を並べます。
こういう通俗若者論が大好きな政治家には、
統計学とか社会学の基礎的トレーニングが欠けています。

ひとりひとりの国民が、政治家とTVメディアに騙されないように、
コメンテーターの情緒的な批判を真に受けないように、
客観データに基づいて判断する癖をつけることが必要です。
今の教育に欠けているのは、心の教育ではなくて、
客観データに基づき議論するための批判的思考力だと思います。

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