英語公用語化論への抵抗:二言語使用の悲劇
フィリピンの国語はフィリピノ語(タガログ語)ですが、
公用語としてはフィリピノ語と英語が使用されています。
公文書や契約書等は、ほとんど英語で書かれています。
すると、教育言語は、たいへん複雑な様相を示します。
フィリピノ語、地方語(セブアノ語等)、英語の3種が、
教育段階や教科によって使い分けられています。
私がフィリピンに留学していた95年頃の感覚でいうと、
そもそも標準語のフィリピノ語(タガログ語)でさえ、
地方にいくとあまり通じないことが多かったです。
当時、フィリピンの小学生の算数の教科書を見せてもらって、
たいへん驚いたのですが、なんと英語で書かれていました。
フィリピンの小学校では、国語、社会等はフィリピノ語で教え、
英語、算数、理科等は英語で教えるスタイルでした(当時)。
さらに、現地語がタガログ語地域以外の小学校低学年では、
地方語を使って教育しているので、小学校で3言語を使用します。
私のいたネグロス島は非タガログ語地域なので、3言語でした。
フィリピンに留学していたと言うと、人から「山内さんは、
タガログ語ができるんですか?」と尋ねられます。
私のいた島では、誰もタガログ語をしゃべってませんでした。
私がタガログ語を学んだのは、上智大学の社会人向け講座で、
会社帰りに半年通いましたが、まったく上達しませんでした。
自分の語学のセンスのなさを実感しただけの講座でした。
本題に戻ると、フィリピンである程度以上の教育を受けた人は、
基本的に英語を話し、英語で読み書きができます。
私の留学先の大学でも、当然のように英語で教えていました。
グローバル化する中でフィリピンの中間層以上は英語ができて、
大きなメリットがありますが、良いことばかりでもありません。
小学生の算数の教科書を見て思ったのは、英語ができなくては、
算数や理科も勉強できないという悲劇です。
その悲劇は、中高になるとさらに深刻化します。
日本の中学生だったら、国語は苦手だけど数学は得意とか、
逆に理数科は苦手だけど国語は得意というケースがあるでしょう。
しかし、フィリピンの中高学生(中高あわせて4年制)の場合、
英語ができないと、国語以外のすべての教科が学べません。
大学に進学する子どもは、だいたい英語で学べるからよいとして、
中高で教育を終える子どもたちにとっては、英語ができないから、
社会に出て必要な基礎的な知識を習得できないケースが出てきます。
また、大学教育を英語で受けるということは、母語でない言語で、
社会科学や理工系の学問を学ばなくてはいけないということです。
英語が苦手な学生には、かなりのハンディキャップになります。
実際にフィリピンの大学で1年間学んでみて気付きましたが、
フィリピン人なら誰でも英語が得意ということではありません。
英語が苦手な学生は、教科書と格闘するのに苦労していました。
日本の大学生なら英語が苦手でも、政治学や農学といった科目で
高度な専門知識を母国語でマスターすることが可能です。
専門知識を母国語でマスターした後に、英語で学んだ方が、
効率的なケースも多いことでしょう。
ノーベル賞級の科学者でも、英語が得意でない日本人はいます。
たとえ英語は拙くても、研究レベルが高ければ、世界が注目します。
フィリピンの場合は、そういうケースは起こりにくいと思います。
なぜなら英語ができないと、専門科目が勉強できないからです。
日本では「英語力が高い(または)専門分野の能力が高い」人は、
社会的に十分に活躍する機会は用意されています。
英語が不得意でも、専門分野の能力が高ければ、活躍できます。
両方の能力が高ければ、さらに有利になるということです。
フィリピンでは「英語力が高く(かつ)専門分野の能力が高い」人しか、
社会的に活躍する機会はないと言っても過言ではありません。
専門分野の潜在的能力が高くても、英語力がないという理由だけで、
その能力が十分に発揮されないことが多いことを意味します。
英語も専門分野の能力も高いフィリピン人にとっては問題ありません。
しかし、そういう人は、社会の中で多数派とは言えないと思います。
また、英語と専門分野の両方の能力の高い人は、どの国でも成功します。
フィリピンの教育事情を見て、日本は恵まれていると思いました。
英語の能力が高くない人でも、十分やっていける日本型システムの方が、
より多くの人に機会を提供できる点で優れていると思います。
日本でも英語公用語化論とか、社内の英語化が主張されますが、
個人的にはあんまりお勧めできない気がします。
英語力に自信のない人間のひがみと思われるかもしれませんが・・・
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